NPO法人 福岡・ネパール児童教育振興会

Education for children in Nepal

沿革

ネパール児童教育支援のあゆみ

1997年

福岡博多東ライオンズクラブ

創立30周年事業として

6月 福岡博多東ライオンズクラブの創立30周年を来期に控え、その記念事業としてネパールにおける小学校建設について、人道支援の見地から検討を始める。 7月 クラブ会員である山崎広太郎がネパールの駐日大使ケダル・マテマ氏と東京の大使館で面談。ネパール在住のダルマ・アディカリ氏等の紹介を受ける。 8月 山崎広太郎はネパール人留学生シャレスト・スボダ君の同行のもとに、ネパール各地を訪問。最終的に前述のダルマ氏や現地のガンダキライオンズクラブとの協議の結果、ポカラ市郊外のニルマルポカリ村に候補地を絞る。 12月 博多東ライオンズクラブの30周年事業として正式決定する。 同時に福岡ネパール児童教育振興会(以下ネパール振興会)会長篠隈光彦を発足する。以後「ネパールの子供に教育の灯を」の理念の下に篠隈会長の奮闘が始まる。これより篠隈会長のネパール訪問は60回を超えるものとなっていく。
1998年

博多東LC会長中島祥光他役員によるネパール訪問

小学校の完成予想図

1月 施設は小学校とし、教室と職員室をあわせて6室の平屋建てとする。 また支援期間は10年を限りとし、その間に村の自立を図り、以後は村の経営に移行とすることを柱とした。この時のメンバー山崎広太郎により小学校の完成予想図を絵画化し、以降のシンボルとした。
1998年

起工式

住友商事の吉開氏出席のもと

5月 住友商事仲介により現地の建設会社ビラウタ社と工事契約。起工式はネパール振興会の代理として住友商事の吉開氏に出席していただく。 6月 ネパール振興会は機関誌「ネオパル」を創刊する。

建物建設に至るまでの経緯

村人の協力

学校用地は村所有の土地と周辺6名の個人所有の土地が無償提供された。 村は小高い山々の両斜面に畑と民家が点在するという形であるが、学校用地はその頂の稜線にあって、アンナプルナの山並みを望む一等地である。しかし、村には人道しかなく、仮設の取り付け道路をつくるのも、村人の汗と人力によるものであった。 また建設に関連する様々な協力や校舎周辺の整備についても村人は率先して行った。
1999年1月

学校建設の工事完了

建設会社ビラウタ社より引き渡し

完成検査を済ませ、建設会社ビラウタ社より引き渡しを受けた上で、博多東LC中島会長より村長に対して建物の贈呈がなされた。 学校名は「福岡ニルマルポカリ小学校」に決定。同時にカマル村長を会長とする学校運営委員会(SMC)が立ち上げられた。
1999年7月

ニルマルポカリ小学校が開校

ネパールの新年度は7月

小学校は5年制であるが、学力に応じて幼稚園クラス30名、 1年生クラス34名、2年生クラス31名、3年生クラス22名で合計117名の新入生である。職員は校長他6名である。
1999年10月

開校祝賀式典の開催

福岡からクラブ会員や市民の参加も得て

福岡からクラブ会員や市民の参加も得て、総勢47名が出席。前年福岡市長となった 山崎広太郎も晴れの参加となった。
2000年

保護者会の開催

教育に関する意識の向上

保護者会を毎月実施することにし、1回目は30名程度であったが、2回目は120名の出席があり 家庭の中の教育に関する意識の向上がみられる。
2000年11月

開校1周年記念式典の開催

福岡からは27名の出席

福岡から27名の出席のもと行われた。校門からの道の両側に子供たちが並び、手作りの小さな花束を競って私たちに渡す姿に大いに感激する。 しかし、開校時117名の入学生のうち47名が留年するという事態に直面し、学校は二の次という親がまだ多いということを実感する。 次年度からは「学校に行こう」をスローガンに、出席率の向上を第一目標とすることとした。 その後は圧倒的に改善され、成績も上がり留年生もいなくなった。
2001年1月

校舎増築工事に着手

進級に伴う教室の不足

生徒の進級とともに必然的に教室が不足する。更に根本的な問題であるが、小学校のみにとどめるかどうかで大いに悩むこととなった。 とりあえず隣接の土地に一階部分のみの4教室の増築を決定する。 村人たちはこぞってこの学校への愛着を深め、その重要性を強く認識し、あわせてライオンズクラブの活動への信頼を高めて、さらなる上級クラスの設置を強く要望することになった。 しかし、一ライオンズクラブの能力としてはこれが限界ではなかろうか。これ以後は「ネパールの子供に教育の灯を」を掲げ、多くのライオンズクラブや団体・個人の協力を引き出してきた ネパール振興会とその会長である篠隈光彦の熱意に負うところが大であった。
2001年5月

福岡にネパール名誉領事館開設

初代名誉領事

福岡にネパール名誉領事館開設。初代名誉領事に篠隈光彦ネパール振興会会長が就任。
2002年2月

NPO法人に認定される

福岡ネパール児童教育振興会がNPO法人に認定され、理事長に篠隈光彦が就任。
4月

「虹の図書館」完成

福岡鶴城ライオンズクラブ

福岡ニルマルポカリ小学校に図書館完成。 福岡鶴城ライオンズクラブの創立30周年記念事業として図書館を建設し寄贈された。「虹の図書館」と命名。
8月

第一期卒業生30名を送り出す

ネパールの小学校は5年生までである。 これでお別れかと思うと心が痛む。この時の卒業生の一人であるアショク・ポウデル君が留学生として福岡で学んだ。 些少であるが、新設の奨学制度により奨学金を交付した。
12月

中学の部、高校の部増設を決定

人材の育成が不可欠

かねてからの懸案であり、留保してきた中学(6年生~8年生)、高校(9年生と10年生)の増設について、現地学校運営委員会(SMC)と協議を重ねた結果、広い視野を持つ 人材の育成がネパールの将来のために不可欠であるとの合意のもとに、大きな決断を下すに至った。
2003年4月

中学の部、6年生クラスのスタート

ネパールの教育制度は4月が新学期となる

この年からネパールの教育制度は4月を新学期とすることになる。学校名も「福岡ニルマルポカリ学校」に変更する。
2003年6月

コーヒー栽培に着手

新しい産業で希望へとつながる道を歩みはじめる

コーヒーの苗木1本につき5ルピー(日本円で8円)を農民自身が負担し、205世帯が参加、6000本の苗木を植えた。 収穫まで4~5年を要する。しかし一年後その半数は枯れ果てた。 生産者による「コーヒー開発委員会」を立ち上げ、意識の向上を図る。
2005年1月

コーヒープロジェクト始動

現地視察

コーヒープロジェクトに対して日本からキョーワズ珈琲の一刈吉房氏と ボルカフェの角谷智氏にネパールを訪問していただく。一連の村内の視察後、両氏から標高1000メートルのこの地はコーヒー栽培環境に最適であり、高品質のコーヒーが収穫される可能性が高いとの評価をいただき、その上に生産品の買い取りについても約束を得た。
8月

JICAが草の根技術協力事業として採択

コーヒープロジェクト

独立行政法人国際協力機構(JICA)が草の根技術協力事業として採択。 事業名「カスキ郡ニルマルポカリ村コーヒー栽培による農業開発計画」、期間3年、事業規模1000万円、貯水タンク4か所、共同作業所などのインフラ整備であるが、これにより 村人の生産意識の向上が期待できる。栽培農家は375世帯まで拡大した。
11月

福岡ニルマルポカリ学校の学校運営委員会(SMC)メンバーの福岡訪問

視察

カマル会長、バグラム校長、長老のドルバ氏、タンカ氏の4名が福岡を訪問した。福岡市長山崎広太郎への表敬訪問。福岡市立横手小学校の視察。大分県の大山村「一村一品運動」の見学である。
2006年4月

ニルマルポカリ村産コーヒーの初出荷

「ヒマラヤンアラビカ」

150キロのコーヒー豆が初めて福岡に輸入された。キョーワーズ珈琲社の一刈氏の手により商品化されたもので、商品名は「ヒマラヤンアラビカ」、「一杯のコーヒーがネパールの子供の笑顔に」 をキャッチフレーズに博多大丸、井筒屋デパートなどの店頭に並んだ。
2007年1月

JETRO主催のイベントに採択される

「ヒマラヤンアラビカ」

JETRO(日本貿易振興機構)主催の開発途上国の地域活性化策としてニルマルポカリ村のコーヒーが採択され、「ヒマラヤンアラビカ」が ネパールの一村一品として成田、羽田、中部国際、関西、福岡の各空港ロビーに展示された。
5月

三階建ての新校舎が落成

多くの皆様のご協力で

博多東クラブ、那の香クラブはもとより多くのライオンズクラブの協力があり、そして福岡市私立幼稚園連盟をはじめ多くの団体、市民有志のご協力を得て小学校の寄贈に始まった事業は、 幼稚園を含む中学・高校まで学べる見事な三階建ての校舎となった。このときネパール振興会はNHKプラネットの協力を得てドキュメンタリーを制作した。そのタイトルを「ネパールの光と夢」とした。
2008年4月

福岡ニルマルポカリ学校開校10周年記念式典を開催

運営主体はSMC(学校運営委員会)へ

開校から10年目に当たる今年、主体は学校運営委員会に移っていかなければならない。その一年である。 式典は福岡から30名の参加。元駐日大使ケダル・マテマ氏を来賓に迎え、厳粛に執り行われた。
2009年6月

奨学金の支援制度開始

10年間の支援期間の終了後の対策として、授業料が払えない生徒を対象に、年間で30万を5年間に限り支援することにした。
2013年5月

「福岡ネパール児童教育基金」創設

教育基金の立ち上げ

5年間の奨学金支援制度の終了をうけ、教育基金を立ち上げる。第一次基金としてネパール振興会より250万円を拠出する。
2014年1月

第二次JICA事業がスタート

コーヒープロジェクト

事業名「ニルマルポカリ村コーヒー農家自立育成計画」でコーヒー農家280世帯をベースに「コーヒー農業協同組合」を設立し、 生産者が自主的に、自立的に生産活動を行うことを目的とする。生産目標、5年後10トン(グリーンビーンで)
11月

学校創立15周年記念式典への参加

学校訪問

任期を終えた篠隈名誉領事に代わって、新たに就任された津上賢治氏とともにネパールを訪問。学校創立15周年記念式典への参加も兼ねている。 津上氏は国連ハビタットの役員もされており、途上国の問題に詳しく、学校やコーヒー農園を興味深く見て回られた。記念式典はシャングリラホテルの中庭のホールにて、 卒業生100名以上の参加のもと、ポカラのガンダキライオンズクラブもお招きして盛大かつ和やかに行われた。
2015年4月

「コーヒー農業協同組合」の視察

2トンの製品化を達成

組合設立の目的は、組合員が組織的にかつ自主的に栽培技術を高め、合理的に農園の管理を行い、有効な収穫につながるネットワークを形成することである。 組合の活動如何がコーヒー栽培の成否を決めるものである。 また重要なことは、第二次JICAプロジェクトで導入した脱穀機等による製品化である。組合員がグリーンビーンにするまでの工程をマスターして 付加価値の高い商品として、直接海外に輸出できるようにすることである。生産量の目標を10トン、更には30トンまでもっていきたい。 今年は2トンの製品化を達成した。

「ネパール大地震」の発生

2015年4月25日

2015年4月25日、マグニチュード7.8の大きな地震がネパールを襲った。死者9200人、建物の被害は甚大で、カトマンズ盆地の世界遺産にも大きな被害が生じた。 日干しレンガを積んだだけの建物の多いネパールでは、被害はより大きくなった。 カトマンズ盆地の西北部に位置するニルマリポカリ村周辺は、壊滅的被害は免れたものの、福岡ニルマルポカリ学校も建物の亀裂や 外回りに被害が出て、構造的に問題はないか心配された。生徒やその家族も不安に包まれていた。
6月

多方面からの支援

ネパール振興会に対し、多方面から自発的な募金活動により集められた浄財が寄せられた。 大別するとライオンズクラブ関係、一般の法人・個人、それと理事長の出身校の同窓会である福商会であった。 皆様のご理解とご厚情に感謝いたします。
7月

被害状況の視察

大林組(株)の全面協力を仰ぎ

2015年4月25日、マグニチュード7.8の大きな地震がネパールを襲った。死者9200人、建物の被害は甚大で、カトマンズ盆地の世界遺産にも大きな被害が生じた。 学校の被害状況の確認と復旧のために、今回も大林組(株)の全面協力を仰ぎ、構造設計の伊藤部長、かつての留学生で現在大林組の施工管理技術者として活躍している シャレスト・スボダ氏、博多東LCの会員で一級建築士の一色美昭が現地に飛んでいただいた。建物の被害確認と適切な対応策が協議され、即座に 改修のための指示が現地の建設会社になされた。
11月

改修完了の確認のための視察

万全の修復

改修工事で特記すべきは、日本からの三人の技術者の指導により、それぞれの部位に鉄筋が入れられたことであり、万全の修復であった。 これで子供たちは安心して授業が受けられることになった。
2016年6月

第99回ライオンズクラブ国際大会

ネパールコーヒーの採用

第99回ライオンズクラブ国際大会が福岡で開催され、世界から35000人の参加者のもと大成功を博した。開催ホスト委員長 不老安正氏の決断により、ネパールコーヒーが日本のライオンズクラブの協力の成果として大会の記念品の一つとして採用された。
10月

卒業生が福岡のアジア日本語学院に入学

留学生支援奨学金制度

福岡ニルマルポカリ学校の卒業生ディル・マヤさんが留学生として福岡のアジア日本語学院に入学した。 ネパール振興会は、理事である山崎広太郎の呼びかけで「福岡ニルマルポカリ学校」の卒業生の福岡への留学の受け皿として、「留学生支援奨学金制度」を創設した。 マヤさんはその第一号である。
11月

市民参加の視察団

毎年恒例となった

毎年恒例となった市民参加の視察訪問団がネパールを訪問。
2017年4月

ネパールの子供たちとライオンズクラブ展

アジア美術館

詳細は活動報告にて

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